総括
まずは、
こうして一人で訪台できるまでに体調が回復したことに、
感謝したいと思います。
そして、
ご心配を掛けた皆さん、そして何より、
この(台湾)の魅力を共感できる素晴らしさに、
気付かせてくれた、
過去に一緒に訪台してくれた仲間達に、
心から感謝したいと思います。
何度目の訪台かはわかりませんが、
ここまで意味深い、
感慨深い訪台は初めてのような気がします。
行き慣れた、安心安全な台湾とはいえ、
言葉も通じない、ましてや、
したことのない行動をするということは、
今の自分においては、
非常に困難であったと思います。
そんな中、こうして行動を起こしたことによって、
これからの人生に繋がる大きな自信、
そして何より、
長く培ってきた、不必要な価値観からの脱出に、
繋がったこと、
これは本当に大きな収穫でした。
(プラス)ではなく(マイナス)、
これは、ボクの人生観には無かった価値観です。
全ての経験が(プラス)され、
大きくなっていくことが成長と信じていましたが、
余計なことも多々あることに気付かされました。
今までの経験が、全て間違っていたとは思いません。
ただ、その経験から、
「自尊感情」や、
「虚栄心」、
こればかりが肥大していき、
ある意味「プライド」として、
全ての人、物に関して、
壁を作ってしまっていたのは事実です。
自分自身の価値観を否定せざるを得ない現実に
直面した時に、
その自身の価値観を否定するのではなく、
起きている現実自体を否定してしまう。
全く受け入れない自分がそこにいる。
「柔軟」という言葉が最も近いのか、
そういった行動、言動がどうしても出来ない。
誰でもそうかもしれませんが、
「負け」を認めたくないんですね。
ただ、常に「勝ち」を意識している訳ではなく、
「負け」がわかっていることに対して、
逃げてしまう、離れてしまう自分がいた。
これは、幼少期から培ってきた、
「虚栄心」から来るものだと思います。
親父ゆずりなのかもしれません。
もうこの世にはいませんが...
幼少期の生活環境から、
(下)であることへのコンプレックス、
これが半端なく影響していたんでしょうね。
回りの環境と比較した時の、
いわゆる金銭的な環境の違い...
当たり前のように与えられるはずのものが、
自分には与えられない...
そんな環境下で、
その位置へ、その高さへ、
そんな希望(願望)が、
いつしか虚栄心に繋がり、
無いものをあるように偽り、
事実とは異なる現状を、
隠しながら前進していく。
コンプレックスも含めて。
自分は人より優れている。
そんな虚栄心から、音楽を続けていたように思います。
今思えば...
ステージでは、自分に無いものも含めて、
それでも表現し続けなくてはならない。
それが苦痛ではなく、
ある意味、(無いものを演じられる)自分に、
酔っていたように思います。
それは、会社員になってからも同じ。
無い袖を振りまくっていた毎日。
何も出来ないのに、何も知らないのに、
あたかも知っている様に振る舞う自分。
もちろん、それ相応の努力をしてきたつもりです。
でも、
自分の価値観を信じるばかりで、
他人を信頼し、頼るというアクションに、
欠けていたと思います。
恋愛にしてもそう。
相手を卑下することは簡単。
でも、自分に原因があるということは認めることができない。
自尊感情だけは誰よりも強いくせに、
内面的にも外見的にも、
本心はコンプレックスの塊...
だから、離れていく相手を引き留めることができない。
相手に求めるばかりで、
本当の相手の心を読み取ることもできない。
そんなちっぽけな奴だったんですよね。
本当は。
認めることが怖かった。
信じることを恐れていた。
順風満帆に見えた自分の人生、
思わぬところでつまづきます。
うつ病発症...長期間の休職...
築き上げてきた全てのものが崩壊しました。
崩壊したような気がしました。
自分の人生、もう終わりだなって。
親のいない実家へ療養に戻ってはみるものの、
実の兄弟とも上手くいかず...
結局、出ることになり...
「療養」という名の「ニート」生活。
時間を有効に活用にと、
貪るように色んな資格を取るには取ったが、
活用まで行動できず、
そんな中、ビジネスパートナー兼として、
出来た久しぶりの彼女に対しても、
本当の自分の体裁、病気を話すことができず、
離れていってしまう...
2017年、マイナスまで落ちました。
落ちても、元の位置まで上がるにはどうしたらいいのか?
そんなことを考えるばかり。
自尊心、虚栄心がボクを襲います。
今の自分が許せない自分...
葛藤し続けた自分がいました。
そんな時、
唯一救って下さったのが、休職中の会社の上司です。
上司とはいえ、歳はボクより下、しかも、
発病した環境とは違う職場での、
ボクの雇用されている会社の総務の方です。
「必要とされている」
そう感じさせてもらいました。
涙が出るほど嬉しかった。
義理人情には熱い自分でいたい。
これもずっと持ち続けてきた感性です。
何とか復職し、恩返しをと、
考えれば考えるほど、
行き詰っていきます。
だって、今まで、
無い袖を振り続けてきたんだから。
そんな自分に何が出来るというのか?
考えれば考えるほど、
さらに深みへ落ちて行きます。
でも、そんな折、
何度も面接を重ねるにつれ、
一つ気付かされたことがあります。
「別にそんなことを期待されてはいない」
「見返りを求められているわけではない」
ってことを。
確かに「仕事の一環」として、
こうして遠くで休職している、一労働者を相手している、
これは事実です。
けど、
仕事抜きでプライベートで、
色んな話を聞いてもらい、
勇気づけられ、励まされしているうちに、
「人として信頼されている」
ってことに気付いたんです。
これは大きかった...
「早く治して戻りたい」
初めて思ったことです。
辞めて、独立して、
取得した資格を使って商売をして、
そのプロセスを考えるたびに、
大きなストレスを感じていた自分...
こう思えたことで、どれだけ軽くなったことか。
その辺りからです。
ならば、この時間をさらに有効に、
今後に生きる使い方をできないかと、
考えるようになったのは。
お金は無いけど時間はある。
復職してからは絶対に出来ない時間を使って、
なにか出来ないか?
答えは早かった。
「訪台」です。
そこからは早かったですよ。
いつ行くかを決めたのは、ほぼ1ヶ月前。
時間は充分ありますから、
航空券やれホテルやれの最安値の検索、
食べ物やいく場所のスケジューリング、
ギリギリまでプランを立ててました。
その時間の有意義だったこと。
今でも忘れられません。
少なからず心配はありました。
行ったとこで、また精神的に不安定になったら、
体調崩すようなことになったら、
でも、
行ってみようと。
自分の第2の故郷のような台北。
きっと、いい影響を与えてくれると信じて。
本当に行って良かったと、
心の底から思います。
色んなことに気付きました。
まずは食。
予習して行って、食べたいと思っていたもの、
半分も食べれなかったこと。
もう歳なんでしょうね...
自分の感覚と消化する割合が、
全く比例していない(汗)
ちょっと食べたら、お腹空かないんです。
かなりの距離を歩いたつもりなんですが、
何故か空腹にならない。
ちょっと残念な気づきでした。
もっと安くて美味しいもの食べたかった(泣)
でも、さすがに1週間いると、
言葉もですが、日本食恋しくなるんですよね。
確かに美味しいんですけど、
これが毎日というと、
やっぱり食べなれた日本食が合うのかもしれません。
あとは、旅行記でも記しました、
「逃げ恥」との出会い。
これが1番大きかった。
徐實琴先生(占いの先生)にも言われたこと、
「プライドが高すぎる」
ボクにある不必要なものがなにか、
思い知らされました。
帰国後にすぐ、全部見ました。
色んな意味で本当に感動しました。
まぁ、実際に星野源さんがそうだとは思いませんが、
演じていた、自尊感情の低い「津崎平匡」さんが、
小賢しい女「森山みくり」さんとの契約結婚の中で、
お互いがお互いを詮索しながら、
労働契約を超えた「愛情」を育んでいく。
ボクはまさに、津崎平匡さんとは真逆の人間です。
自尊感情の塊、虚栄心の化け物です。
でもね、思ったんです。
津崎平匡さんのように、自尊感情が低いというか、
自分の弱さを全て認めて生きていくこと、
相手を見下さない、相手本位での感情で接すること、
大切なことなんじゃないかって。
ボクも今の自分、全てを認めている訳ではありません。
けど、人に誇れることも多少は持ち合わせているつもり。
でも、
自分の弱さも全て認めているかと言ったら、
答えは「NO」です。
虚栄心が邪魔をして、絶対に表に出すことはない。
それが出てしまう場面では、必ずシャットダウン...
これがボクです。
けど、これがもし、
津崎平匡さんの様な生き方をしていたら、
回想できる、色んな過去の場面で、
丸く収まっていたんじゃないのか?
そう思えて仕方ないんです。
前述しましたが、自分はコンプレックスの塊です。
ましてや、こんな状況、
会社員としてのキャリアは完全に失墜しています。
この先、あわよくば昇進昇格なんて、
夢のまた夢かもしれません。
でも、
それはそれで良かったんじゃないか?
これからの人生、
弱い自分、醜い自分、全て含めて自分であって、
他人に認めてもらうために生きているわけじゃない、
自尊感情など捨てて、
素直に相手を尊ぶことの出来る人間として、
生きていくこと、
素晴らしい人生だなって、
感じることができました。
人を信頼し、人を好きになることで、
自尊感情や虚栄心は邪魔なものになります。
どんなに自尊感情を持ったところで、
現状持っているコンプレックスは消えません。
ならば、
それも自分、
開き直るのではなくて、
それも自分自身だと認めて、
大いに笑って過ごせたら、
これはこれで幸せな人生なのではないかって、
気づかされました。
上手くいかないこと、気の合わない相手にも、
決して意固地にならず、
自分の弱さを逆に大っぴらにして、
人に頼ることのできる人生の方が、
収穫の多い人生だと思います。
なぜ、こんなに価値観が覆ったのか?
それは、「台湾」で「津崎平匡」さんと出会ったからです。
出発前にこだわったこと、
「着て行く服」であったり、「髪型」であったり、
またその色であったり、
こだわった様々なこと、
それは、
「相手からの見られ方」です。
見られ方といっても、
今思えばですが、
「相手がどう思うか?どう感じるか?」
ではなく、
「自分がどう見られたいか?」
だったように思います。
そうして散々考えて、準備して、
いざ向かった結果、
結論、
「誰も何も感じていない」ってことに
気づきました。
「いち日本人観光客」
でしかないんですよ。
ものすごくこだわって着ていた服装も、
良かれと思ってしていた髪型も、
全て、
誰も何も感じていないんです。
当たり前のことなんですけどね。
全く気付いていませんでした。
だから、
見た目などは、自分が思っているようには、
他人にはそれほど感じていないこと、
そして、
自尊感情の低い津崎平匡さんが、
コミュニケーションとして大切にしていた、
「言葉」「言葉使い」
です。
もちろん、あそこまでは他人行儀過ぎではありますが、
日本語のほぼ通じない異国の地で、
コミュニケーションにどれだけ言葉が必要か、
また、
どの場面でどんな言葉を使って、
自分の気持ちを伝えるか、
これが、
どれだけ重要なことであるか、
台湾にいたからこそ気づきました。
日本で観たら、気づかなかったかもしれません。
森山みくりさんが妄想したことを、
どのように変換して言葉にしたか?
自尊感情の低い津崎平匡さんに、
どうしたら自分の気持ちを伝えることが出来るのか?
雇用主と労働者の関係である上で、
1度も恋愛経験の無い津崎平匡さんが、
それを愛情として感じ取り、
どのように森山みくりさんに表現したのか?
そして何より、
2人が何を最も幸せと感じていたか?
今までの人生観、恋愛観が全て、
覆った気がします。
この春には復職できると思います。
今回のような、長期間での個人旅行は、
定年後じゃなければできないかもしれません。
それだけに、
今回の訪台はボクにとって、
本当に本当に収穫の大きい旅行となりました。
この今持っている感覚を忘れることなく、
今までの自分とおさらばし、
自尊感情も虚栄心も必要としない、
弱くても強い自分として、
心から人を信頼することの出来る自分として、
生きていきたいと思います。
最後に、
しばらくサイトの更新は無いかと思います。
(もうプライベートでの訪台は厳しくなるので)
今回の訪台でお世話になった、台北の方々、
台湾へ一緒に行った、大好きな仲間達、
津崎平匡さん、
森山みくりさん、
そして、
愛する、第2の故郷台湾。
本当に本当にありがとうございました。
必ず、また会いに行きます。